逢瀬町には八幡太郎義家公にちなんだ伝説や地名が数多く伝えられてきました。
その一例として、後三年の役(1083~1087)のころ、賊徒を平定するため、義家公がこのあたりを訪れた際、山際の川沿いに湯気が立ち上がるのを見て、霊泉を発見。この時義家公が傍らの手ごろな石に腰を下ろし休憩したので、この石を「休み石」、霊泉を「休石温泉」と呼ぶようになったとか…。
また、安積地方で一番高い山の頂で大将旗を掲げて神々へ戦勝を報告したことから。この山を「大将旗山(1,056m)」、その報告に先立ち先陣を洗い清め額を剃りお化粧した山を「額取山(1,008m、通称安積山)」と呼ぶようになったそうです。
なお、義家公の御家来である鎌倉権五郎景政の伝説も多く、役の後にこの地を収め善政をしいたと伝えられ、逢瀬町多田野の鎮守「多田野本神社」では、権五郎景政を御霊として祭、「御霊櫃峠」の名の由来にもなっています。
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